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2011.10.13
あっという間に月日が経ってしまい、このブログもほとんど放置気味です。それでも少しづつカウンターが上がっているところをみると、まだご覧頂いているようでうれしいです。 ここ半年ばかりの間に、引っ越したり、あれこれありました。ま、相変わらずの生活に大きな変化があるわけではないのですが。 確実にいえることは、ブリュッセルも遠くなってしまった、ということです。思い出をつづろうにも、時間というフィルターが確実にかかり、写真を眺めるだけで満足してしまう自分がいます。 最近のお楽しみ。 ![]() BOOKOFFで105円で買ってきた新書・文庫本を読み終えて、この値札をはがすとき。 なかなかはがれにくくって、後にシールの跡が残るのが残念ですが、これを爪ではがすことで読了を確認しているような気分です。 本の小さな幸せ・・・
31 Mar.10 wed
毎年年度末はなぜかしらどたばたしがちで、その一方で「桜が咲いたらやっぱり撮りに取りに行かなきゃ」と何かしらそわそわしているので、なんだか落ち着いて本を読んでいない様な気がします。読んだ本の数もずっと少なく・・・ そんな中、ちょっと面白かったのはこの藤原正彦著 「名著講義」 ![]() です。著者の本職は数学者ですが、エッセイストとしても有名で、むしろ私などはこちらの方からしか知らないのですが。 数年前「国家の品格 (新潮新書)」 ![]() さて、この「名著講義」はもともと文藝春秋に連載された、著者がお茶の水女子大で行ったゼミの模様を書き起こしたものです。もちろん著者専門の数学では無く、日本の名著を毎週一冊づつ取り上げてゼミ生と議論するもの、いわば読書会の体をとっています。 で、この「講義」に取り上げられた本は新渡戸稲造『武士道』に始まり、内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすゝめ』、無着成恭『山びこ学校』など11冊。眺めてみると、大抵はかつて時間がたっぷり有った頃、読んだものばかりです。 いずれも名著には違いありませんが、幕末から明治、そして「きけわだつみのこえ」に至る戦前の日本で出版された本で、外国のものは入っていません。まあ、というわけで著者の意図は明らかで、「とかくネガティヴに見られがちな近代日本ってこんなに良かったのだ」という、「国家の品格」と根底では同じメッセージです。 もっとも、それを押しつけるでもなく、参加しているゼミ生の方がかえって藤原先生よりもっと保守的だったりするのに驚くのですが、屈託無く和気藹々と議論が進んでいる様が伺えます。もちろん読書会ではありませんから、むしろ「名著」に触発されて自分の考えを見直す、その書かれた時代背景を著者から「講義」を受ける、という感じですので、学問的な議論が深まるようなことはありません。それはこの「講義」が目指すところでは無いと思われます。 それにしても感受性豊かであるものの、なにかと忙しい(?)大学1年生の頃にこういった書物を毎週一冊づつ読んで議論する、というのは並大抵のことではありません。勢いまじめな学生が集まっているので、これを読んで「ああ、日本はまだまだ大丈夫だ」などと著者や読者が思うのは、ある意味おめでたい誤解なのかもしれません。 それでも、この本を読み通して感じるのは、がむしゃらに読書していたあの頃、このように解説付きで他の友人達と議論が出来れば楽しかったろうに、という思いと同時に、もう一度ゆっくりこれらの本を繰ってみたい、でもそれはなかなか出来そうにないだろう、という遠く去ってしまったあの時間へのため息混じりのあこがれだったりします。 最後に、著者の「最終講義」も収録されています。あの全米でベストセラーになったランディ・パウシュ著 「最後の授業 ぼくの命があるうちに DVD付き」 ![]()
5 Mar.10 Fri
あっという間に3月ですね。暖かい日があったかと思うとまた寒くなったりして、いまひとつ体調が優れません。 さて、お友達のネットライフ生命の岩瀬さんのブログ、「生命保険 立ち上げ日誌」を見ていたらおもしろい記事が。 すでにもうあちこちのメディアでも出ており、コメントも多く付いていますが、このブログでも取り上げた彼の近著「生命保険のカラクリ」が出版社のサイトから無料でダウンロード出来るようになっています。もとの記事はこちらです。「書籍は「フリー」になるか」。 著者の意向とはいえ、また、期間が限られている(4月15日まで)とはいえ出版されてまだ1年もたっていない本が只で読めてしまう、というのはすごい試みです。まあ、岩瀬さん自身が語っているとおり、今までだって立ち読みも出来れば、図書館に行けば只で読めることは読めますが、これはやはり一つの大きな実験でしょう。 確かに著者の様に「出来る限り多くの人に読んで欲しい、(従って、印税とかはどうでもよい)」という方にとっては、広報効果もさることながら、まさに理想的な取り組みですし、貧乏な読者としも大変ありがたい取り組みです。が、ではすべての書物がそうなるか、となるとそれはどう考えても無理でしょう。著作業のみで生計を立てている方としてはそれこそ死活問題です。 でも、チャレンジとしてはとてもおもしろいですし、このような試みが特に絶版本に広がっていくといいなぁと思ってしまいます。 読みたい本が「手に入らない」、「読めない」、となると余計に読みたくなるものですし、そのために法外(?)な金額を泣く泣く払って古本屋で手に入れるたことも何度もあります。でもそうなると古本屋が困るでしょうね(笑)。 去年の暮れ、モスクワ出張にでかけた際にクリス・アンダーソン著『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』 ![]() 粗っぽく一言で要約すると、世の中何でもタダになって、それで新たなビジネスが生まれている、という内容です。結構売れているようですし、様々な「フリー」な商品がなぜ無料なのか、という説明がわかりやすい上に、よくアメリカの本などにある、ただ単に具体例を並べただけでなく理論的な説明も詳しいのでとても楽しめました。そもそもこの「フリー」、アメリカでは出版前にキャンペーンとして一万部はタダでダウンロード出来たようですね。 ただし。 この「フリー」を読んで、改めて気がつくことは、「世の中にタダのものなんて無い」という何ともあほらしい事実です。価値の交換で経済・社会が成り立っている以上、かならず誰かがコストを負担している訳です。その誰かが見えたり、見えなかったりするだけだ、と書いてしまうと身も蓋もありませんが。 では、この岩瀬さんの取り組み、コストを負担しているのは誰でしょうか? 推理小説では「誰がやったか?(Who did it?)」が唯一のテーマです。今回はそれはもう著者に決まっています。では「誰が払っているのか?(Who payed for it?」。果たしてそれは著者なのでしょうか。 それを考えて見るだけでも今回のチャレンジ、随分楽しめます。今度飲むときにご本人に訊いてみよう(笑)
26 Feb.10 fri
「ウソには3つの種類がある。ウソと真っ赤なウソと統計だ。」といったのはディズレーリです。要は統計が一番タチが悪いということで、事ほど左様に人は統計にだまされやすい、と言うことでしょう。 つまり統計と言うのは、データの集まりですから何となく説得されてしまう、と言う点につきます。何しろデータは数字ですから、からきし数字に弱い一般人が統計にだまされてしまうのはもうその定義から仕方ありません。 さて、最近あんまりビジネス書には手を出すのをやめたのですが、ちょっと面白かったのはたまたま統計に関する本でした。 神永正博著 『未来思考 10年先を読む「統計力」』前著「統計思考力」では、「データを見る」、「データを読む」、「データを利用する」との構成からもわかるとおり、統計の見方、つまりデータ分析の基本をやさしく解説することに重点が置かれていました。それに対して、「未来思考」ではその応用として、「少子化と結婚」、「都市と高齢化」、「仕事と経済」という3つの大きなテーマについて主として人口推計をもとに将来の展望を予測します。 つまりデータの見方から一歩進んで「データから将来を予測する」ことに主眼が置かれており、それにさまざまな角度から分析が加えられています。その結論は、まあそこそこ妥当であるような気もしますが、大切なのはどのデータからどういう結論が導かれるか、という点でしょう。 難しい数式を持ち出さず、平易な語り口の中から感じられるのは、著者が本気で日本の将来を心配しつつも、統計から読み取れる楽観主義を最後まで崩さず、いたずらに不安をあおらずに、日本の将来に対する確固たる自信と期待を持ち続けている点です。問題の所在を明らかにし著者なりの解決法をさらりと示しているところに明るい未来を信じる信念が感じられます。 ![]() そして、エピローグの最後に書かれた2行に著者からのメッセージは凝縮されています。「問題を考えるときの最大の罠は、問題にすべきでないことを問題にしてしまうこと、そして問題にすべきことを問題にしないことにあるのです。」 あらかたのビジネス書は処分してしまいましたが、この2冊は手許に残しておきたいと思いました。 ついでに、菅原琢著『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)』 ![]()
15 Jan.10 fri
あっという間に1月も半分が過ぎてしまいました。が、何となく最近は余り本を読んでいません。いえ、いつもどおり、何冊も買い込んではいるのですが積読の山が高くなるばかりです。 で、今日本屋をうろついていたら以前からのブログ友達、NED-WLTさんこと酒井さんの新著が出ていたので急遽割り込み処理(笑)です。 「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書 439)前著が英会話(のフリをしたビジネス書)だったのに比べ、今回の著書は酒井さんの現在のお仕事そのものを扱っているだけあって、中身も相当濃くなっています。 オランダから帰国前の酒井さんにお会いした時に、新しい仕事は「戦略人事部のGM」ということを伺ったのですが、その際には一体何をするのか良く理解できませんでした。そもそも「戦略人事」とはなんでしょう。「人事戦略」なら何となくイメージはわくものの、人事部に必要な戦略とは、普通の組織ではそこまで考えることは少ないのではないかと思います。 この「テキスト」の目次がその「戦略」の概要です。 第1章の「何のために育てるのか」から第5章の「誰が育てるのか」までで、その戦略は多くのコンセプトというかフレームを引用しつつ、網羅的に説明されていきます。よくもまあ、これだけいろんなことを調べ上げているなあ、というのが率直な感想で、否が応でも説明には説得力が伴います。 ちなみに、第1章から第5章までの構成は「なんのため」「誰を」「いつ」「どうやって」「だれが」となって、英語でいくとWhat for (=Why)、Whom、When、How、Whoとなりますが、このうち「誰を(Whom)」は対象なので、「何を(What)」と置き換えられますから、見事に、5W1Hに呼応しています。もちろん抜けているのはWhereですが、これはタイトルにある「会社」ですから自明なのです。これをみるだけでもこの「戦略」が如何に緩み無く組み上げられているかが判ります。 そして特徴的なのが第6章、「教育効果を測定する」です。「測定できないものはコントロールできない」というのが酒井さんのロジックの根本にあることは他の著書をみても明らかです。人の育成という世の中で二番目にとらえどころのないものをテーマに、数値化を語るところが酒井さんの酒井さんらしいところです。 しかしながら、残念ながらもっとも興味あるこの第6章の書きぶりは他の章と比べていささか弱くなっていると感じるのは私だけでしょうか。筆者の所属するフリービットにおける評価モデルが説明されていますが、いささか舌足らずです。筆者がこの章の冒頭で「最も重要で、かつ最も難しい」としている所以でしょう。 さて、普通の「テキスト」ならここでお仕舞いです。いえ、上に書いたとおり、第6章まででコンパクトながらも大変良くまとまっており、追加することはもうほとんどないでしょう。しかし本書には第7章があります。それは「具体例」。 実は本書を手に取る方の大半が一番読みたいのはここでしょう。いえ、会社などで実務についている読者を想定すれば、理論よりも他社がどうしているかが最大の関心事であるのは当然です。「戦略人事」を掲げる会社の人材育成プログラムはどうなっているのか、その一端がここに開示されています。 ネタバレになるので内容はあえて書きませんが、はっきり言ってここまでやっている企業などは少ないのではないでしょうか。逆に言えば、限られたリソースのなかから人材育成にここまでリソースを割くことこそが「戦略」そのものなのです。ここに書かれているのは一例に過ぎないのかもしれませんが、このレベルまで実践できる企業でないと筆者が第1章で論じるとおり、グローバル化の中で人材のアウトソーシングが進むと「従業員を路頭に迷わす」ことになるのでしょう。 さて、私が理解できなかった酒井さんの仕事内容。そして9年近くのオランダでの実績を置いて日本に戻って来た理由。その答えは本書のあとがきにあります。 それはまたしても「戦略」です。 これまでの彼の著書(と、飲み会でのお話)を貫いているのは「戦略」なのです。「戦略人事」とは「戦略を実行」するための人材を育成することであり、戦略がその定義によって多数のオプションからなる場合、「戦略実行」に最適な解を提示できる高度な知的作業だからでしょう。本書の最後にある「高度な人材育成のスキルをベースとしたイノベーションのリーダーシップ」とは、まさに企業活動における戦略そのものであるからこそ、あのNED-WLTさんを惹きつけてやまないのかもしれません。 最後に。一つだけ、フリービットの人材育成プログラムでうらやましいのは、条件や限度はあるものの「書籍代の補助がでる」という制度です。いいなぁ(笑)。
31 Dec.09 thu
大晦日。出張からもどって疲れ果ててしまったので、今年の年末は大掃除もサボって自宅でのんびりです。 さて、今年最後の本棚。 9月の本棚でテオドール・シュトルム協会編の『シュトルム名作集 I』をとりあげました。その後このシリーズ、無事2冊目も刊行されて、完結しました。よかったよかった。 と、その記事にある方から、「それほどシュトルムがお好きなら、手許にあるシュトルム全集の既刊分 何度かのメールのやり取りの末、直接お目にかかり、シュトルム全集をお譲り頂きました。その際、訳者である柴田 斎氏が教鞭をとられていた大学を退官後まもなく、病に倒れられたこと、また、次の刊行分もほぼ6~7割程度は翻訳が完成していたこと、などを教えていただきました。 また、このシリーズの凝った本作りについてもあれこれお話を伺い、訳者と出版社がともに大変なこだわりをもってこの全集の刊行に取り組んだことなども伺いました。 初めてこの全集の第2巻を手に取ったときの感動を思い出しましたが、最近ではほとんど見なくなったクロス装で、背表紙にはシュトルム全集の文字が、表紙にはシュトルムの署名が金押しで入っています。もちろん、外箱と本体それぞれがきちんとハトロン紙にくるまれています。もちろん本文の印刷もきちんと活字で組まれたとても丁寧で美しいものです。 ![]() このようなつくりの本を見なくなってからどれくらいたつのでしょうか。かつてはちょっとした本はみな、このようなきちんとしたものでした。そんな中、この全集にはかつての美しい本を目指した、訳者と出版社のこだわりが形になって現れています。 残念ながら柴田氏の病気はなかなか回復の兆しをみせず、出版社も同氏の翻訳による続刊をついにあきらめ、新たな訳者により全集完結を目指すようです。 柴田氏の名訳が途絶するのはとても残念ですが、少なくともここには同氏の偉業が素朴ながらも美しい本となってずっと残っています。すばらしい文学作品にふさわしい作りの本、こうやって並べて見ると失われたものの大きさに改めて考えさせられます。 最後に、貴重な全集をこころよくお譲り頂いた上に、この全集出版にかかわるさまざまなエピソードを教えていただいた、Sさんに改めて御礼を申し上げます。 ![]() (奥にあるのは最近出たシュトルム協会編によるシュトルム作品集 IとII
11月の本棚 山田治生著 『トスカニーニ―大指揮者の生涯とその時代 (叢書・20世紀の芸術と文学)』
久しぶりにトスカニーニの本が出ました。日本語で書かれたトスカニーニの伝記としては、諸石 幸生著の『トスカニーニ―その生涯と芸術』 ![]() トスカニーニは、イタリア生まれの指揮者。20世紀を代表する、といってもいいほど他の指揮者に影響を与えたことで知られています。1957年に亡くなっていますから、もう没後半世紀以上たちます。いつも比べられるフルトヴェングラーの演奏が放送録音や海賊録音に至るまであきれるほど繰り返し再発売されるのに対して、トスカニーニの方は一時の熱狂がさめてしまったかのように、記憶のかなたに押しやられています。 私が始めてトスカニーニのレコードを聴いたのは、中学生の頃。例によってレコードを手に入れる前にずっと聞いていたFMの放送でした。どういう番組かは忘れましたが、ベートーヴェンの「英雄」の冒頭を何人かの指揮者による演奏を聴き比べるという企画でした。 その中で特に強烈な印象だったのが、刃物で切って落とすような迫力だったのがトスカニーニの振るNBC交響楽団のそれでした。当時はまだフルトヴェングラーのよさがわからないガキだった、といえばそれまでですが、とにかくパワフルでスピーディなトスカニーニの演奏に魅了され、寝てもさめてもトスカニーニだった時期があったのは事実ですし、今でもかなりの枚数のCDを処分できずに溜め込んでいます。 さて、突如として現れたこのトスカニーニ本。クラシック・ジャーナルの連載をもとに纏められたそうですが、最近この類の雑誌を読まなくなったのでいきなり浩瀚な本書が書店に並ぶのをみて、驚いてついつい購入しました。 この本の特徴は、その坦々とした記述振りです。かつて英語から翻訳されたトスカニーニに関する書物は、多かれ少なかれこの20世紀を代表するイタリア人指揮者の数多いエピソードをちりばめる、その人となりを明らかにしようとするのが普通ですが、本書にはそのエピソードはほとんど出てきません。ひたすら、何時どういう理由で何を振ったのか、その結果はどうだったのか、を中心につづっていきます。ある意味お役所の書類のような味気なさを感じることすらあります。 とはいえ、その客観的な記述振りこそがこの一世一代の指揮者の非凡さを浮き彫りにしていることもまた事実で、時として時代背景の説明が入るのすらくどくどしく思えることすらあります。 ただし、トスカニーニのエピソードの中でも有名なフルトヴェングラーとの確執については、これまでともすれば特定の立場や視点から書かれ、ややもすればバイアスがかかりがちになるザルツブルグでの邂逅(37年)についても、さまざまな書物からの引用をいとわず、真相にせまろうとしています。 その分、トスカニーニのファンにはたまらない点も多いこの本。今ひとつ何か物足りない気がするのは、多分、客観的にトスカニーニの生きた時代と本人とのかかわりを描こうと努めたがために、逆に人間トスカニーニの描写があまりにも少なく、なにか突き放したような感じを受けるからかもしれません。 研究書としてはそれなりの価値があると思われる本書。巻末には、メトでトスカニーニとマーラーが振ったオペラ一覧やフルトヴェングラーとともに君臨したNYフィルでの記録、さらにはストコフスキーとつとめたNBC交響楽団のシーズンの記録が載っています。これはとても興味あるところですが、このような取り上げ方をすることにより、結果としてこれらの他の指揮者との確執をことさら強調する形になっており、トスカニーニの業績を考える観点からはやや片手落ちと言わざるをえません。 先に挙げた諸石本には詳細なディスコグラフィが掲載されており、CDを聞く際には重宝したのですが、こちらの本にはそのような包括的なデータが欠落しているのは残念です。 ともあれ、トスカニーニの生涯を追って見たいと思う向きには今のところ最適な一冊かもしれません。 ちなみに、この本の出版社であるアルファ・ベータからは、同じ「20世紀の芸術と文学・叢書」シリーズの中でサム・H・白川著 『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠』 ![]() ちょっとバイアスかかっていますけどクルト・リース著 『フルトヴェングラー―音楽と政治 (1959年)』
27 Oct.09 Tue
10月の本棚ー岩瀬大輔著『生命保険のカラクリ』 ここのところ、以前にも増してブログの更新が滞っています。公私共に忙しいから・・・というのがその理由ですが、まあ普段の平々凡々な毎日の中からブログのネタを拾うのが難しい、と言うのが本当の理由です。 さて、今月の本、岩瀬大輔著 『生命保険のカラクリ』 (文春新書) ![]() そしてそれは岩瀬氏が自身のブログで 「ハーバードMBA留学記」が2004年~2006年に学んだことのまとめだとすれば、今回の「生命保険のカラクリ」は2006年~2009年に学んできたこと(の一部)を本にしたもので、自分のなかでは「留学記」の続編、とも言えるくらい力を入れて書いたものです。 と述べている通り、すばらしい力作になっています。 すでにネットでも多くの書評が出ており、本書の詳しい内容を紹介するのは避けますが、一言で言えば、この本の主眼は生命保険にまつわる情報の非対称性を正し、正しい生命保険の選び方を指南することにあります。 実際、生命保険の仕組み、選び方について必要十分な情報が自らの経験を交えながらもコンパクトに纏められており、生命保険という、私を含む一般人にとっては、多分にブラックボックスとなっているものの、なんとなく将来の不安から購入せざるを得ないために詳しく調べることなく知り合いの紹介など、曖昧な判断基準(GNP=義理、人情、プレゼント)で生命保険を買わないことを含む他の選択肢と比較することなく高価な買い物をしていることがデータを踏まえつつ平易に説明されています。 従って、本書は社会人になって初めて生命保険の契約を決めようとしている若い人にこそ読まれるべき本なのです。 その点は多くの書評が指摘するとおりで、全く異論はありません。若い人のみならずGNPでなんとなく生命保険に入ってしまった私を含む大多数の日本人に「生命保険とは何か」を問いかけ、見直すきっかけを与えてくれます。そしてその役割を十分に果たしうる力作であることに間違いはありません。 だがしかし。 本書の本当の存在価値は、これまで一般人に中々見えてこなかった生命保険をめぐる謎(=情報の非対称性)をあぶり出すことにとどまるものではありません。 本ブログの5月の本棚の記事で、 「ただ、これほどまでの知識、経験を積んだ著者が全くあらたな発想のもととはいえ、帰国後にヴェンチャーとして始めたのが生命保険会社であることにやや失望を禁じ得ないのは私だけでしょうか。著者が2年間のHBS留学で得たものが、ビジネス世界にとどまることなく、より広く、高く羽ばたく日が来るこことを願ってやみません。」 と投げかけた疑問に対する、著者よりの明確な回答であり、自身の選んだ道について誇らしく語るとともに、そこにかける並々ならぬ意気込みを高らかに宣言する、いわばマニフェストなのです。 そしてこの点こそが、最近巷にあふれる内容の薄い新書本と本書を隔てる大きな違いとなっているのです。 願わくば、次の著書では「現在進行形の岩瀬大輔」から一歩踏み出して「近未来の岩瀬大輔」が語られるような著書を期待したいところです。 (あ、勉強本
28 Sep.09 mon
9月の本棚ー『シュトルム名作集 1』 5連休となってシルバー・ウィークとよばれた週末。残念なことにずっとアメリカに出張でした。久しぶりに訪れたニューヨークは随分綺麗になって、以前の薄汚れた姿から一変していたのに驚きです。残念ながらカメラを忘れていったのと、そもそもずっと仕事をしていてあちこち出歩く余裕も無かったので写真はありません・・・ と言うことで、その準備やらなにやら、それに帰ってからの時差ぼけでろくに本が読めなかった一月です。 が、先日久しぶりに神保町の某大型書店の棚を覗いていて見つけた一冊。 『シュトルム名作集 1』 ![]() シュトルムは何度もここで書いているシュティフターと並んで好きな作家の一人です。 作風は似ていなくもありませんが、ずっとロマンチックな短編が多く、まあ、はっきり言ってしまうと甘ったるい、ワンパターンのお話ばかりです。でもその雰囲気が好きで、代表作の「みずうみ」や「三色菫」などを手始めに、学生時代には古本屋を漁ってずいぶん文庫本を集めたものでした。(最近また一冊二冊と文庫本を集め始めていました。(笑)) ちょうどシュティフター作品集全4巻を買い求めた頃、立派な装丁の「シュトルム全集第2巻」を見つけ、ちょっと悩みましたが結局購入しました。お値段は当時の学生にはちょっと痛い4000円程。まあ、家庭教師のバイト一回分と考えればそれ程大したことのない金額なのですが。 で、これ、全10巻という予定で出版社は聞いたことのない、村松書館。で、待てど暮らせど次の配本が出版された気配は無く、ぐだぐだ遊んでいた大学をとうとう卒業してからも時々書店の外国文学の棚を覗いてはいたものの、ついぞ続巻を見つけることはありませんでしたし、古本屋にもシュトルム全集が出ることはありませんでした。 ところがもう随分前のことですが、何のはずみかネットで村松書館を検索してとうとうシュトルム全集刊行の顛末を見つけました。こちらです。なんとその後20年近くの間に数巻が刊行され、まだ続行中とのこと。しかし一冊8000円というのはちょっとおいそれと手が出る額ではなく、うーん、と考えているうちにまた月日が流れました。(それでも全巻完結したらたぶん無理して買ってしまうと思いますが・・・) で、とうとうこの名作集の発刊です。この本も多分売れないと思われるので、こちらも5000円と結構なお値段です。しかしながら代表作が新訳で読める楽しみには変えがたいものがあり、やっぱり買ってしまったのでした。 件の村松書館の全集はもちろん全集なのですが、昭和30年代にシュトルム選集が出版されたことがあります。こちらも滅多に古書店でも見かけることはありません。全巻揃いで並んでいることはまずないでしょう。実はあるときこのセットを友人が持っていて、ぜひ譲ってくれ、と頼んだことがありますが、どうもお母上の持ち物と言うことで断念したことが一度ありました。 というわけで、村松書館のシュトルム全集が完結するまでの間、この「名作集」でしばらく楽しもうと思っています。
30 Aug.09 sun
8月の本棚 加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』 8月になると書店には戦争関連の本が並び、テレビは一斉に同じような番組を放映する。いつからこのような例年の「お祭り騒ぎ」になったのかは判らないが、最近では戦後60年くらいからか。その多さにいささか辟易としないでもないけれど、中にはずっと本棚に並んでいく本も見つかることがある。 この本、『それでも日本人は「戦争」を選んだ。』は他の本や番組が殆どすべて日本にとって「あの戦争」である太平洋戦争に焦点を当てている中で、歴史上日本が起こしたほぼすべての戦争について語っている点がまず一番目を引く点である。「ほぼすべての戦争」というのは、19世紀以降すべての戦争、という意味である。 この本は日本が近代化する中での選択肢としての「戦争」がなぜ選ばれたのか、行われたか、を日清戦争から説き起こしている。 序章 日本近現代史を考える 1章 日清戦争 - 「侵略・被侵略」では見えてこないもの 2章 日露戦争 - 朝鮮か満州か、それが問題 3章 第一次世界大戦 - 日本が抱いた主観的な挫折 4章 満州事変と日中戦争 - 日本切腹、中国介錯論 5章 太平洋戦争 - 戦死者の死に場所を教えられなかった国 この目次にある副題を見れば明らかな通り、戦争の原因をこれまでの通り一遍の植民地主義や帝国主義思想から導き出すのではなく、それぞれの戦争が選ばれた背景を判りやすく解説している。 そして一言で言えば、日本人が戦争を選んだ理由は -なんとー 経済的なものだった。それが本書の結論である。誤解を恐れずに思いきり単純化して言うと、要は戦争を回避するより戦争をした方が安上がりであった、ということだ。 戦争は政治とは別の手段で行う政治の継続にほかならない、と言ったのはかのクラウセヴィッツだ。毛沢東に言わせれば政治と戦争の違いは、血が流れるかどうかだと言う。 したがって、政治のオプションとしては常に戦争が一つの選択肢として上げられていることに、また、その選択理由が経済的なものでありうることを忘れてはいけない。この本の著者はさまざまな新しい研究成果を取り上げて説明を試みている。 もちろんそのロジックの是非については議論もあるだろう。しかし、戦争は主義主張だけでは始まらないし、終わらないものだ。そして、戦争そのものの目的・定義もきちんと作業仮説として提示されている。 などと書くと、「世界で一番戦争を行っているのはアメリカで、その背後には軍需産業の利益が云々」というお決まりのコメントが返ってくるのが目に浮かぶ。が、ことはそう単純ではないのであり、その一つの答えが本書にはある。 この本は歴史学者が歴史に興味を持っている高校生に対する特別講義を記録したものである。その数わずか5回。生徒達に判りやすいよう、語り口は平明であり、また生徒達とのやり取りの中には考えさせる物もある。いずれにしても、その中身は極めて重く、歴史、そして政治に対する視点について読者は改めて考えさせられることになる。 中学、高校での歴史の授業を思い出してみると、このような現代史、とくに戦争にからんだ生臭い話は殆ど教わることはなった。今は少しは変わっていることを期待したいが、多分ごく一部の幸運な学生を除けばそのような機会は殆どないのではないか。その事実を前に暗澹たる気持ちになるのは私だけではあるまい。 この本は普通の歴史に興味をもつ高校生を対象におこなわれた特別講義の記録を基にしており、内容もかなり高度なことにまで踏み込んでいるため、すべての中・高生には少し難しいかもしれない。しかし、かつての中高生達が手にとって、あらためて「日本の戦争とはなんだったのか」を考えてみるきっかけとして決して損はない一冊だろう。 もう一つ。第4章に出てくる、「日本切腹・中国介錯論」。内容は本書を読んでいただきたいたが、当時中国の駐米大使であった胡適がとなえた対日戦争の戦略である。太平洋戦争が始まる数年前に、その後の約10年間の大局を的確に見通していいることに驚く。 そして、その見通しを踏まえた「論」こそが最高の戦略論になっているのである。巷に氾濫している「戦略本」に出てくる戦略とはそもそも次元が異なっており、本来の戦略とは長期の見通しを踏まえ、組織の存在そのものをかけた方針・政策であることに改めて気づかされるのではなだろうか。 本書には胡適以外にも本当の意味での「戦略家」が考え出したいくつかの戦略について、判りやすく解説している。果たして今日同じレベルで思考が出来るリーダーはこの国にいるのか。 今日の選挙開票速報に出てきた顔ぶれを見ていると、なんだか心寒い思いがする。 加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 ![]() < 前のページ次のページ >
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